●沿線風景(深谷線1・深谷〜中瀬)
 深谷駅東側にある唐沢川橋梁。この辺りから線路はJR高崎線から離れ北へ向かう。

 旧中山道の踏み切りそばにある常夜燈。旧深谷宿の名残である。

 線路は原郷〜上敷免間で福川を渡る。上の画像は橋梁東側の風景。左に公園があるのが見える。

 旧福川橋梁は、現在は橋梁そばの公園に保存・展示されている。

 原郷〜上敷免間で交差する国道17号線深谷バイパスは、用地は4車線分確保しているが、現在は2車線のみで供用されている。

 線路は上敷免を出て、小山川を渡ってさらに北へ進む。

 深谷ねぎの産地である新戒付近では、車窓にねぎ畑が広がる。

 深谷線起点の深谷はJR高崎線の北側に位置し、高崎線上りホーム1番線の大宮方の対面に専用の0番線がある。

 かつて深谷駅で貨物取り扱いがあったころは何本かの貨物側線があり、また本庄鉄道と高崎線のレールは構内で接続され、貨車の収受も行われていたが、熊谷貨物ターミナル開業後、深谷駅での貨物取り扱いはなくなり、それに合わせて本庄鉄道での貨物輸送も廃止された。

 不要となった本庄鉄道側の貨物側線などは、その後1984年ごろまでに撤去され、高崎線と接続していたレールも消えてしまっている。
 深谷を出ると、カーブしながら唐沢川を渡って北へ方向を変える。住宅地を抜けて行くと旧中山道と国道17号線と交差する。

 旧中山道の踏み切りのそばには常夜燈が立っている。このあたりはかつての深谷宿の東端で、近くの「見返りの松」とともに、宿場町の名残を今に残している。

 国道17号線を越えると深谷商業高校前となる。駅名のとおり、駅西側には県立深谷商業高校が隣接している。


 線路はさらに北に向かって進み、深谷中央病院の南に原郷がある。原郷を出ると病院の脇を抜けて進み、福川を渡る。

 福川橋梁は専用線時代に架けられた古いものであったが、河川改修と合わせて架け替えられた。

 旧橋梁は福川沿いに造られた公園内に移築され、保存・展示されている。


 福川を越えると、集落が散在する田園地帯の中を走るようになる。しばらく進むと国道17号線深谷バイパスをくぐる。そしてその先に大きい集落があり、その中に上敷免がある。

 上敷免には明治時代に開設された日本煉瓦製造の工場が現存し、1975年までは製品を本庄鉄道でも輸送していた。

 現在は貨物輸送そのものが廃止されているものの、専用線時代からの工場・車庫は現在でも使用されている。


 上敷免を出ると、単線の本線の東に車庫への線路が並行し、そのまま備前渠を渡り、橋梁の北側で車庫線と離れ、本線は小山川を渡る。

 車庫線は東にカーブして、煉瓦工場の北側を抜けて道路を越え、深谷市浄化センターと小山川の間にある工場・車庫へ至る。

 小山川を渡った本線は、ねぎ畑が広がる地域をさらに北へ走る。

 「深谷ねぎ」はいまや全国的に知られる深谷市の特産品であるが、その主産地が、利根川と小山川に囲まれたこの辺りの一帯、旧大里郡豊里村(1954年に新会村と八基村が合併して成立。翌年に中瀬村を編入し1973年に深谷市編入で消滅)である。

 しばらく進んだところに新戒がある。少し東にJAふかや新会支店がある。


 線路は相変わらずねぎの匂いが漂う一帯を走り、豊里小学校付近でカーブし、西に向きを変える。そして中瀬に至る。場所としては中瀬の集落の南で、駅のそばにJAふかや中瀬支店がある。

 ここ中瀬は、かつては利根川に面した交通の要所で、江戸時代までは渡し船があり、往来する人で賑わったという。

 昭和に入って2代目となる現在の上武大橋が架けられて(初代の橋は明治時代に架けられた木橋で、水害のたびにしばしば破壊された)「中瀬の渡し」は消え、現在では単なる農村地帯の一角と化している。

沿線風景(深谷線2・中瀬〜本庄)