●川急が川急でなかったら?
 まあいまさら言うまでも無いのですが、この「川越急行鉄道」という架空鉄道は、あくまでも独立した「埼玉西部の大手私鉄」というのを前提に構築しています。歴史・路線・車両等の各種設定も、その条件を満たすように考えて決めています。
 しかし、その「川越急行鉄道」とほぼ同じルートの鉄道があったとしても、もしたどった歴史の道のりが違うものだとしたら、それが「川越急行鉄道」の路線であるとは限りません。むしろ「川越急行鉄道」という私鉄自体が存在していない可能性も十分考えられるのです。
 今回は、そんな川急の"路線"はあるけど、川急は存在しないという架空世界を考えてみました。考察に不十分な点があることについてはご容赦ください・・・。



(1)新宿延長線が実現しなかった場合

 川越急行鉄道の成り立ちを考える上で、大きなターニングポイントの一つとして「独自に新宿に乗り入れる新線を建設できたかどうか」と言うことが挙げられます。設定では、1928年(昭和3年)に新宿〜今成間の電化新線と既存路線の電化を実現させ、現在の川急の路線の基礎を築いたということになっています。

 ところが、単に東京方面進出を果たすだけなら、(間接的になら)独自に新線を造らずとも実は可能でした。それは、当時川越(現在の本川越)で連絡していた(旧)西武鉄道が、高田馬場〜東村山間の電化新線である村山線の建設と、既存の国分寺〜川越間のうち東村山〜川越間を電化し、高田馬場〜川越を電車による直通運転を行う計画を進めていたからです。
 当時の熊谷鉄道(現川越急行鉄道)は、すでに(旧)西武鉄道との直通運転を行っていましたから、旧西武鉄道の電化にあわせて熊谷鉄道側も電化すれば、多額の費用がかかり、経営的にも困難の見込まれる長大新線を建設せずとも、高田馬場〜東村山〜川越〜熊谷・鴻巣間の直通電車を走らせることが出来ました。独自に長大新線の建設まで行うのと、既存線の電化だけで済ませるのでは、短期的に見た場合、どっちがより経営に有利で容易に行えるかは言うまでも無いでしょう。

 では、仮にそれが実現していたとして、その後熊谷鉄道はどうなったでしょうか?この場合は、1945年(昭和20年)に(旧)西武鉄道と武蔵野鉄道が合併して(現)西武鉄道が成立した際に、熊谷鉄道も一緒に武蔵野鉄道に合併されていたのではないかと考えられます。この場合、西武新宿〜本川越〜上伊草〜西武松山〜熊谷間が西武新宿線、上伊草〜鴻巣間が西武鴻巣線ということになります。(菖蒲線はとりあえず考慮せず)
 もっとも、このケースでは1945年以前に(旧)西武鉄道と熊谷鉄道が合併していた可能性も十分考えられます。その場合でも、現在の路線形態は上記の通りになります。

 また、独自の新線建設に着手するも、結局実現できなかったケースも想定できます。この場合は、やはり熊谷鉄道同様に東京方面〜川越間に直通電車を走らせる計画を進めていた(旧)西武鉄道と競合することになるため、熊谷鉄道と(旧)西武鉄道との関係が悪化することが予想されます。

 このケースでは、結局電化されず、独立を保ったまま戦後を迎えて、本川越(1940年までは川越)で連絡していた(旧)西武鉄道と共に武蔵野鉄道に合併され、現在の西武鉄道の路線の一部になる場合がまず考えられます。この場合は、戦後電化されて本川越以南との直通運転が再開され、現在の路線形態としては、ほぼ上記と同じく、西武新宿線が西武新宿〜熊谷(本川越を境に線名が異なっている可能性もあり)となるかと思います。

 あるいは、(旧)西武の他に隣接する東武の傘下に組み入れられるケースも想定できます。その場合では、早期に東武に合併されて、東武の手によって今成〜川越市間の新線の建設及び今成〜川越間の廃止、それに既存路線の電化が行われていたと思われます。このケースでは、現在の路線形態としては、川越市〜松山新宿〜熊谷間が東武松山線、上伊草〜鴻巣間が東武鴻巣線となり、いずれも東上線系統に組み込まれ、東武池袋からの直通電車が走ることになったかと思われます。


(2)戦時統合等に巻き込まれた場合

 もう一つの歴史のターニングポイントとしては、昭和恐慌〜戦後をどう過ごしたかということが挙げられます。1938年(昭和13年)に公布された陸上交通事業統制法によって、各種陸運事業者の合併・統合等が行われたことはご存知の方も多いと思います。川越急行鉄道の存在するエリアで、もし川急の存在以外現実通りの条件で戦時統合(と一口に言うのも本当は良くないんでしょうが)が行われていた場合、川急は(旧)西武と共に合併され、武蔵野鉄道(現西武鉄道)によって統合されていた可能性が結構高いかと思われます。

 このケースでは、現西武の路線網は大まかに3つに分けられ、旧武蔵野の池袋線系統の路線、旧西武の新宿線系統の路線、旧川急の松山線系統の路線が存在することになります。その場合、本川越駅は戦後廃止され、新宿線も川越駅に乗りいれて、東武・西武・国鉄(現JR東日本)による統合ターミナルが形成されていたかもしれません。

 あるいは、新宿延長線開業後、昭和の恐慌の中で経営が悪化し、他の私鉄の傘下に入るケースも想定できます。その場合はいろいろなパターンがあるんでしょうが、堤康次郎率いる箱根土地が、武蔵野鉄道同様に経営権の掌握に成功したケースと、川急が東武・・・というか根津嘉一郎系列の手に落ちるケースを挙げておきます。

 前者の場合は、上記のケース同様に武蔵野鉄道に合併され現西武の路線となったでしょう。後者の場合はやや微妙なところもありますが、比較的早期に東武に合併されていたか、その後当時根津系列の資本が入っていた(旧)西武同様に、堤に経営権を奪われ、やはり上記のケース同様に現西武の路線になっていた場合が考えられます。