●「鉄路の後に−夢の残り香 〜深谷駅〜」
かつては中山道の宿場町として栄えたこの深谷に、鉄道が開通して駅が出来たのは1883年のことである。
それ以来、約130年間に渡ってこの駅には多くの列車が走り、多くの人に利用されつづけ、
そして今なおJR高崎線の駅として機能し続けている。


深谷駅1番線ホームの階段上にある看板。
かつてはここに「0 本庄鉄道線 血洗島・本庄方面」という文字も一緒にあった。


そんな深谷駅からは、かつて本庄鉄道と言う小さな私鉄が出ていた。
元々は、4kmほど離れた上敷免にある煉瓦工場から製品を運び出すために造られたこの鉄道は、
沿線の人だけでなく、沿線特産の煉瓦や深谷ネギ等の農作物も運び、
昔の駅構内は、高崎線へ連絡する貨車で賑わっていたと言う。
しかし時は過ぎ、まず貨物が無くなり、さらに乗客が減りつづけ、ついには線路が無くなってしまった。

廃止から5年経った今では、当時の施設が撤去されて面影はほとんどなくなってしまったが、
上り熊谷方面ホームの反対側には、本庄鉄道線が発着していたころの痕跡が、ホームの形状にわずかに名残をとどめている。


本庄鉄道線0番線ホームの跡地。
撮影位置の前にある柵の向こうに、2両編成の短い電車は発着していたが、レールはかなり以前に撤去されてしまった。


駅前広場では、深谷が生んだ大実業家・渋沢栄一の銅像が以前と変わらず駅を見守っているが、
駅周辺は、人通りが少なくまるで活気がない。
かつては、中山道沿いの商店街では歩行者天国が行われるほど賑わったと言うのが信じられないほどである。
駅前の「キンカ堂」は相変わらず営業してはいるが、
やはり近年は上柴のショッピングセンターなど、郊外の店舗に客が流れてるらしく、
客の入りは芳しくないようだ。