●本庄鉄道の成立〜
1943年(昭和18年)7月に、深谷鉄道と本庄電気軌道が合併して現在の本庄鉄道が成立しました。
両線の運転形態等はさほど変化はありませんでしたが、1945年(昭和20年)2月には、軌道法の適用を受けていた児玉線が、地方鉄道法による鉄道に転換されています。
戦後は燃料事情が悪化したので、蒸機運転だった深谷線は、燃料費の高騰が経営を圧迫するようになったため、1949年(昭和24年)に直流1500Vによる電化が行われました。
電化により旅客列車が電車化されたのに合わせて、血洗島、諏訪新田駅が開設されています。
この時点では、児玉線は開業当時以来の直流600V電化で、電車、電機牽引列車の直通運転は不可能でした。
しかし、1951年(昭和26年)に児玉線の架線電圧が1500Vに昇圧され、電車・電機牽引の貨物列車の直通が可能になりました。
それとともに、東西に分かれていた深谷線、児玉線の本庄駅が統合されています。
その後1960年代以降は、他のローカル私鉄同様に、モータリゼーションの進展で乗客が減少していきます。
貨物輸送の方も、1975年(昭和50年)に上敷免からの日本煉瓦の製品輸送が無くなり、1978年(昭和53年)には完全に廃止されています。
その一方で、1970年代後半以降は車両・地上設備の近代化・合理化が進められてきました。
1981年(昭和56年)には全線にCTCが導入され、また、1986年(昭和61年)にはワンマン運転が開始されています。
さらに、1992年(平成4年)にはATSが設置され、1996年(平成8年)にはすべての車両の冷房化が完了しています。