●「鉄路の後に−夢の残り香 〜本庄駅〜」
埼玉県北部の街、本庄。
その昔は中山道最大の宿場として栄え、近代においては、生繭の集積地として、また児玉地方最大の都市として発展した街である。
今でもかつての繁栄の名残が街の随所に残り、また、現在では伊勢崎など、利根川を挟んだ群馬県方面への玄関口としても発展している。
そんな本庄と、7kmほど離れた児玉の町との間に本庄電気軌道の電車が走り始めたのは、今から102年前、1914年の事である。
当時の本庄町長、松本分作氏が設立したこの軌道は、当初は本庄・児玉間を所定25分(実際には30分程度かかっていたと言われる)で結んでいたが、電車自体の速度は低く、走って飛び乗る事もできたと言う。
その後、バスに脅かされた時期もあったが、何とか切り抜け、そして1943年に深谷鉄道に合併された後、2011年までは本庄鉄道児玉線として活躍を続けた。
その本庄鉄道の駅はJR高崎線の南側にあり、末期は島式ホーム1面と、その上に独立した橋上駅舎があった。
駅舎は現在でも本庄鉄道の営業所(バス・タクシー・旅行事業は鉄道廃止後も行われている)として使われているが、
線路やホーム、それにホームに下りる階段は撤去されて、跡地は駐車場となっている。
現在は、鉄道に変わって本庄鉄道バスが出ており、児玉方面は、鉄道代替の西富田経由と、新幹線連絡の本庄早稲田駅経由が、本庄早稲田駅始発の鬼石線とともに南口から出ている。
一方、かつての深谷線代替の、血洗島経由深谷駅北口行きは北口から出ている。
児玉方面と血洗島方面との乗り継ぎは不便になったが、鉄道時代でも本庄をまたぐ乗客は少なかったので、特に問題ではないようだ。